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低線量被曝とか内部被曝とか関連の対立について パート3

うわあ、びっくりした。

わたしがまったくアクセスしていない間にも毎日たくさんの方が見にきてくださってたみたいで、

すみませんです、はい。


今ひっさびさにブログ書いてる時間があるのでホーチミンより連続投稿でお送りします。


前回と前々回のエントリは順番が逆だったかなって感じです。

・対立構造を乗り越えたいけど乗り越えられない

・自分の偏見の根源のひとつ(原爆症問題)

という風に持ってきたほうがよかったかな?


で、書いて意味があるのかよくわからないんだけど、

もう少し自分の偏見の根源について話します。



たとえば、五重の壁。

「五重の壁がある」

「だから、放射能は外には漏れない」

「だから原発は安全」

とゆーのは、電力会社側の言い分だったんですよね。

つまりこれ、放射能が外に出たらヤバイって事は電力会社も認めてるわけですよね?

で、今回のは「ちょっと漏れた」んじゃなくて、レベル7な放出なわけですよね。

それで「大丈夫」はちょっとないんちゃうの、と思うわけです。


「そういう事言ったのは、反原発が騒ぐからだろ」と言う方もいるかもしれません。

それを電力会社の広報が言うならまだ理解できるんですよ。

でも専門家とか政治家とか官僚はそれ言っちゃダメじゃね?と思います。

本当にこんだけ漏れても焦ることもないほど安全なら、

間違ったイメージを作り出した広報は批判しないといけないだろ、と。

広報だけじゃなくて、これまでの安全基準も。

放射線管理区域とかね。原発作業員の被曝限度(年20mSv)とかね。

一番大事なのは、非常時の緊急作業の被曝限度(100mSv)かな。

原発の「非常時の緊急作業」が、国の存亡がかかってくる話だ、というのは

専門家の方々なら当然理解されてたと思うんですよ。

そういうときに100mSvなんて超安全圏な話してていいのかよ、

という議論は当然あるべきだったんじゃないんでしょうか。

それをしなかったのなら、危険視する人を批判する前に、

「原発が必要以上に危険なものとして認識されることを許してきたこと」に

対する反省があってもいいんじゃないかな、と。

一般国民でさえ、反原発唱える前にこれまで電気使ってきたこと反省しなきゃいけないなら、

確実にそうでしょう、と思うんですよ。


わたしが知らないだけかもしれないんですが、

原発事故以前に「五重の壁とか別にいらねーし」とか言ってる人

聞いたことないんですよ、まったく。

それでこうなってから、「いやいや、全然大丈夫だから」って言われても、

信じられないでしょ?それも少数派なんですかね?



中には、そうじゃない、今回の事故は確かに深刻、

原発に関してもちゃんと色々考えなきゃいけない、

でも一部の人は大げさ。たとえば関東圏で騒ぐ必要はない、

という方々もいらっしゃいます。

それはまだ、だいぶ納得行くんですよね。

私もETVだったかな、あれでウクライナだかベラルーシだかの家族が

11万ベクレルのキノコを毎日主食にしてて、

でも赤ちゃんも今のところ健康だし、というのを見たときに、

ああ100ベクレルとかって本当に大したことないのかもな、とは思いました。



ただ、その人たちが、「危険」派の人たちを、

東電や政府以上に危険視して批判するのがわからない。

たとえば今回の水素爆発で格納容器にもっと大規模な損傷があったとか、

あるいは風向きが悪かったら、大都市に対して風上にある原発で起こっていたら、

日本存亡の危機とかそういうレベルの話になってた、という点、そして

そうならなかったのは、ならないよう対策が施されていたというわけではなく

「たまたま」運良くそうだった、という点は共通認識ですよね?違うのかな?

わたしとしてはそういう事が絶対に二度と起こらないよう対策とるのが先だと思うんですが、

政府の緊急安全対策は、だいぶ前に触れたけど必殺「屋上にドリルで水素爆発回避」ですよ?

そんなことしてる政府より、本当に、160ベクレルの桃が危険だ、

食べるやつ頭おかしいんじゃないって言ってる人たちのほうが有害なんでしょうか?



そう考えるとね、どれだけ専門的なことを言ってる人たちでも、

冷静じゃないんだな、と思ってしまうわけです。

どういう理由であれ。

それを責めたり批判するつもりで言ってるんじゃないんですよ。

ただ、そういう状況・視野で導き出された「安全」という結論が

果たしてどこまで信頼できるのか、という点にはやはり疑問が残り、

ある程度説得力を感じていても、

果たしてそれに自分の命預けられるかと訊ねられれば正直、ムリだと思うんですよね。

で、自分が命預けられない話に他人に命預けさせていいのか、という

ジレンマに陥ってしまう。



今のところ、低線量被曝や内部被曝に関しては、

できるかぎり多くの情報に触れた上で、

それぞれが判断して行くしかないんだろうな、と思ってます。

それをどう判断するかは、それこそそれぞれの人生観の問題なんですよね。

人それぞれ違う経験してるんだから、それぞれにとっての真実って

形が違って当たり前なわけで。

そういうレベルで分かり合えないかなあ…、と勝手な希望を持ったりしてます。









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対立構造を憂慮してしまう瞬間


ナオミ・クラインという方がいまして。

その方が、主に9.11からイラク戦争までの流れと、カトリーナ、スマトラ等の自然災害の後に起こる

利権構造の激変などをベースに、「Disaster Capitalism」という言葉を作りました。

わたしはyoutubeで彼女の講演を見ただけで本は読んでないんですが、

彼女は「証明できる点」のみにこだわり(陰謀論扱いされるのを避けるため)

本の論点は全て公的文書にクロスレフェレンスをしてあるそうで、

9.11陰謀論に関しても「証明できないので」と言及を避けた人です。

機会があれば、その講演書き起こして翻訳します。

災害直後の混乱期に、市民生活に多大な影響を与えるような、

インフラや教育や福祉に関する法律が誰も知らない間に通り、

多国籍産業が莫大な利権を手にすると同時に市民生活を牛耳る力を得る、

それが一種のビジネスモデルとして定着しつつある、という話です。

それもものすごく説得力のある話だったんだけど、

一番印象に残ったのはそこじゃなかったんですよね。


9.11のような大惨事の直後、人々の多くは、助け合おうとした。

人間にはそういう心がある。3.11の後もそうでしたよね。

痛みをわかちあい、助け合い、希望を見出し前進しようとする。

しかし、このビジネスモデルを成立させたい人々は、

なんとかして人々を分断し、対立させようとするそうです。

人が混乱してないと火事場泥棒はできないからですね。

で、今の日本もそういう状態になってきてる。


しかもね、どれだけ専門的で科学的な話してても、ほとんどの議論が

くだらねえプライドの争いなんですよ。

バカ。いや、お前がバカ。って、そういう争い。

わたしもくだらないプライドだらけの人間で、感情的になると論理も飛躍します。

んで、やたら「冷静に、冷静に」っていうのも好きくない。

だってムカついてるときはムカついてるんだもん。

冷静にって言われて冷静なフリしても、結局心ん中はムカついたままなんですよ。

相手の論理の弱点はものすごい細かいとこまで見つけるけど、

自分の論理の飛躍はまったく見えなかったりするんですよ。

でもたまに、ナオミ・クラインとかの話を思い出して、

「あ、やべ、そんな事してるときじゃなかった」と思います。


これ、対立構造煽ろうと思ったら超簡単なんですよね。

どっちかの側に立って、相手をバカにすればいい。

そうすればバカにされた人はムキになって、勝手に攻撃的になってくれる。

で、攻撃された人がまたムキになって、また相手に攻撃的になる。

そうして連鎖的に攻撃性が広がっていく。

なんだかなあ。


本当は、この対立に使ってるエネルギーを、

一致団結して建設的な方向に向けてくべきなんですよね。

多くの人間が一丸となって本気で何かをしようとすれば、大抵のことはできます。

そういう、なんだろう?共感?って、それだけでスゲエものだと思うし。

ああ人間ってすごい、生きてるってすごいって実感させられるような。

そんな素晴らしくポジティブなものに背を向けて、対立に夢中になってちゃ

いけない、とは思うんですけどね。

今の状態を重大視するからこそ、日本マジでヤバイと思うからこそ、

この危機を乗り越えるために

そういう方向に持ってく義務が自分にあるだろうとは思うんですが…。

いやあなかなか人間の器が小さくて根性が未熟なものでうまく行きません。

低線量被曝や内部被曝に関する話


文字起こしとかでお問い合わせ頂いてたようですが、

最近供給が追いついてきたようで他にもたくさんやってる方々いらっしゃるんで

それやったらわたしは他のことしよ、と他のことしてます。すんません。


というわけで久々に、ちょっと長くなる内容なのでブログ。



低線量被曝や内部被曝の影響について、色々考えてました。

そもそも私がこの手の話に疑いを持ったのは原爆症認定訴訟の話でした。

「少しでも被爆由来と疑わしきものは認める」的判決が出てから、

「80までぴんぴんしてた人が80で癌になってからって、

それで原爆症認定してくれっていうのはえげつないんちゃうん?」

というご意見をたまたまネットで目にして、

わたしは認定訴訟にはどっちかというと被爆者側にいたんですが、

「まあそれもそうだよな」と思ってちょっと調べてみたんですよね。

もう詳細覚えてないし、そんな細かく調べてないからツッコミどころはあると思いますが。



ちょっと前まで、原爆症認定は爆心地からの直線距離をもとに計算した

被曝量で決まってたらしく。

白内障とか、原爆病として認定されている症状でも、

その範囲の外で被曝した人は認定されないと。

今回の福島で言えば、各地の線量測らずに

「飯館は30km以上離れてたから被曝したわけがない」

というような考え方で消去されてたそうで。

ところが、原告の方々は急性症状が出るぐらい被曝してたり、

同状況で被曝した方が急性症状で亡くなってたりしてる状況にあって。

それでもアンタの白内障は爆心地から何キロ以上離れてたから

関係ねえよって態度を国はずっととってきてたわけです。

あと、一人えげつない病歴の方もいて。

原爆症の場合、原爆病って五種類とか限られた症状しか認められなかったんですが、

この方は、もう大病に次ぐ大病を患い続けられてたんですね。

それどれか一つなっただけでも自分だったら人生の大事で、

自分はすごく運が悪いというか不幸な話だと思いそうな大病を、次から次へと。

しかもたとえばC型肝炎から肝機能障害とかならまだわかるけど、

けっこう無関係というかランダムというか。

ここからここへは転移しないと考えられてる癌二種類とかね。

ナンボなんでもこれはないやろ、と。


で、前はこれよりまだひどかったらしいんですわ。

判定基準。

それが、チェルノの研究結果が出て来て大分変わったそうなんですが。

チェルノの結果が出てきてても、

隣で一緒に被曝した人が急性症状で亡くなって、

自分に後からモノスゴイ健康被害が出ても、

それを被曝由来だと認めてもらうのに

何年も何年も国を相手に裁判せなあかん状況ってことは、

それやったら国際基準やの国際的知見やのも、

ものすごい保守的--

つまり、関係性が確実に証明されない限りは認めない、という

基本姿勢なんやろなと思いました。

やからICRPの文書とか読んだんは3.11以降が初めてやったけど、

最初からイマイチ信用できてませんでした。



ちょっと長くなってしまうので一端切ります。

続きは明日。
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